こんにちは。中村ひろきです。
4月1日オープンの定額シェア別荘『ロップ家』ですが・・・。
先日こんなツイートをしました。
釣った魚を捌いて食べるわけでもなく、毎日知らない人との出会いが待ってるわけでもない。
でも、昨日まで居たはずの地元と、確実に少しだけ違う。
ぼくがロップ家に求める暮らしは、そんな『非日常』ならぬ『微日常』なのです。#ロップ家
— 中村ひろき@長野の土地をてにいれた! (@you_chiryoin) 2018年1月23日
これに関して、もう少し詳しく語ってみようと思います。
非日常を求めるのは、日常がストレスにさらされているから。
たとえば地元を離れて旅へ出るとき、多くの人が非日常な環境を探し求めます。
プール付きのホテル。息を飲むような絶景。文化も言葉も違う人々との出会い。
家と会社を往復するだけの単調な生活との差によって、感動の度合いも大きくなります。
まるで「非日常な環境へのワープこそが最高の幸せ」と錯覚しがちですが、本当にそうなのでしょうか。
ぼくが思うに、非日常な環境を求める人ほど、日常的に抱えているストレスが大きいように感じます。
だからこそ刺激に満ちた環境を求める。まるで度数の少ないお酒では物足りなくなったアル中患者のよう。
ぼくは、ほんとうの幸せって、灯台下暗しで、もっとありふれた日常に含まれているものだと思うのです。
忙しい時はわからなかった、日常の中の幸せ。
4年ほど前、ぼくは人生最大の危機を迎えていました。
全財産1,900円。家賃2ヶ月滞納。1日17時間働いても月収18万円ほどの生活。
家でも仕事場でもないどこか遠くへ消えてしまいたいほど、毎日ツラかったのです。
とにかく刺激に満ちた非日常の環境へ逃げたかった。
でも、今は違います。
ようやく収入が安定して、移動にタクシーを使うことも、ラーメンにチャーシューを載せることも、財布の残金を確認する必要はほとんどなくなりました。
すると、不思議なことに、あれほど非日常な環境を求めていた自分はいなくなっていました。
ハンドドリップで淹れたコーヒーをゆっくりと飲める朝。
420円の銭湯で1日の疲れを取りながらリラックスする夕方。
大好きな仲間と大衆酒場で飲みながら語る週末の夜。
そんなしょーもないことで、この上ない幸せを感じられるようになりました。
なんてことない日常の足下に、幸せはいくつも転がっていました。
例えて言えば、ふりかけやカレーがなくても、白米そのものの美味しさが感じられるようになったような感覚。
まとめ
繰り返しになりますが、4月からスタートするロップ家に「非日常」なんてひとつもありません。
新しい出会いの連続があるわけでもなく、連夜たこ焼きパーティーが行われるわけでもない。
でも、昨日までいた地元と、なにかがちょっと違う。
そんな「微日常」を感じられる場所になったらいいなと思っています。
暗くて見えなかった足下の幸せに気づく、サーチライトのような存在になったらいいなと。
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