頑張った君へ。

ぼくは小学校のとき、責任感が強い人間だった。常にストレスにさらされていた。

いつもプレッシャーと戦っていた。給食が食べれなくて拒食症になった。

小学校のときは野球部のキャプテンだった。学級委員だった。

中学校のときはハンド部のキャプテンだった。生徒会副会長だった。

とても苦しかった。それが使命だと思った。乗り越えるべき壁だと思った。

 

高校のときに松本くんに出会った。彼は一つ上の学年から留年していた。

金髪で、ロクに授業も出ず、生徒指導の先生とぶつかってばかりいた。

「俺のほうが偉い要素なんてどこにもないから」と、くれぐれも敬語を使わないように言われたことを今でも覚えている。

 

責任感が強くて文武両道だったぼくと、学校になじめない松本くんは親友になった。

高校3年生の夏休みはチャリで沖縄へ出かけた。

ここでぼくの人生は180度変わった。

 

松本くんの「やりたくないことはやらない姿勢」に憧れた。

授業がつまらなさすぎて、高校を留年した。

完走したくなさすぎて、50m走を途中でリタイアした。

起きたくなさすぎて、ほとんどの授業に遅れた。

「同僚に挨拶するの疲れた」と、ユニクロのバイトを4日でやめた。

発泡スチロールを延々と切断するバイトは、馬鹿らしくなって1週間でやめた。

女の子と働きたくて始めた子供服売り場のバイトは、とりあえず満足したから4ヶ月でやめた。

 

どれも褒められるべきでないエピソードばかりである。

 

でも、やりたくないことを削ぎ落としたおかげで、フィットする仕事を見つけたときの彼の爆発力は真似できなかった。

プラモデル専門店に就職したとき、「残業するのが当たり前」という空気が気持ち悪すぎて、嫌味を言われながらも定時に帰ることをやめなかった。

それでも、東海地区ナンバーワンの営業成績になった。

その結果、社長直々に「松本だけは定時に帰っていい」と言われるに至った。

その後、社内全体で残業禁止になったそうである。

 

松本くんは、自分がどんなときに幸せを感じるかも明確にわかっていた。

ぼくの「お金を稼ごうぜ!」というギラギラした誘いには全く乗ってこなかった。

愛する家族に囲まれて、自分の趣味を謳歌する人生を望んでいるようだった。

とても褒められるべきでない20代を過ごした松本くんは今、市役所で公務員として働きながら、3人の子供に恵まれて超幸せに暮らしている。

ぼくが「週末飲みに行こうぜ!」と誘うと、二つ返事で「いいよ!」と帰ってくる。

そのノリは、高校3年生のときにぼくが「チャリで沖縄行こうぜ!」と誘った時の返事と何一つ変わらない。

子供が3人いても高校の時と同じ返事ができるほど、良好な夫婦関係を築けているのだろう。

こんな人生もアリではないだろうか?

 

ぼくは、松本くんと出会ったおかげで人生が180度変わった。

「やりたくないことはやらない姿勢」は、いつの間にか完全に自分のモノになった。

 

面接で合わないと感じた職場は、初勤務をすることなく辞退した。

やったことすらないパチンコのバイトは、クズ扱いされて1ヶ月でやめた。

クソほどお世話になった治療院のバイトは、沖縄に行きたくなったからやめた。

接骨院の仕事は、途中で寝てしまうほど退屈だったから半年でやめた。

 

有り金をはたいて買った1,800円の本は、つまらなかったから目次を読んで捨てた。

初めてのデートで見た映画は、内容がくだらなくて15分で爆睡した。

会長を助手席に乗せた車を運転中に寝たらクビになった。

 

結果的に、ぼくは10年間で11回引っ越し、11年間で12回転職している。

褒められるべきエピソードなど一つもない。

仕事を投げ出した理由は、ぼくが100%悪いと断言できるものばかりだ。

それでも今、5つの大好きな仕事をしながら2つの拠点を持ち、月収200万以上稼いでいる。

あのときパチンコのバイトから逃げたぼくに、何か文句があるだろうか?

 

今現在勤めている職場が、もしまだ働く前だったとしたら、あえて今からその職場で働くだろうか?

今やっている活動が、もしまだやる前の活動だったら、あえて今からその活動をやるだろうか?

今思いを寄せている異性に、もしまだ思いを寄せていないとしたら、あえて今からその人を好きになるだろうか?

 

絶対にイエスと言い切れないのなら、今すぐにそれをやめなければいけない。

もっと生き急がなければいけない。時間は無限ではない。

望む結果は最後にひとつだけ残せばいい。

今やっていることで幸せになれるとは限らない。

幸せになる以外のことはボロボロで構わない。

いつか幸せを感じたときにようやく気付くだろう。

幸せを感じることはできたのは、そのときのボロボロのおかげだったのだと。

 

目標は「活動」であってはならない。

〝今月中にあと10記事書くぞ!〟

「10記事書くこと」は活動に過ぎない。

その活動によって得たい「感情」を目標にしなければいけない。

10記事書くことによって、どんな感情を得たいのだろうか?

あくせくせずにゆったりとしたいのだろうか。

バイタリティあふれた姿をみんなに見せたいのだろうか。

得たい感情によって、しなければいけない言動は全く別のものになるはずである。

得たい感情がその活動から得られないのなら、その活動はやめるべきである。

幸せとは、所詮「どんな感情を得たいのか」に過ぎないのだから。

 

我慢してユニクロで働いていれば、松本くんは3人の子供に恵まれただろうか。

我慢して発泡スチロールを切断していれば、松本くんは週2日の釣りを楽しめたのだろうか。

我慢してパチンコのバイトをしていれば、ぼくは不動産を2つ買うことができたのだろうか。

我慢して接骨院で働いていれば、ぼくは月収200万以上稼げたのだろうか。

 

もし松本くんが余命1ヶ月だったら、ユニクロのバイトを我慢しただろうか?

もしぼくが余命1ヶ月だったら、パチンコのバイトを我慢しただろうか?

 

やりたくないことをやり切っても、それなりに成果は出るのだろう。

でも、やりたいことをやり切ったときの成果には遠く及ばないのだろう。

 

やりたくないことをやらないからこそ、本当にやりたいことが明確になるのだろう。

暗いほうへ暗いほうへと足を運んだほうが、今まで見えなかった星が輝いて見えるように。

 

自分に100%非があっても構わない。誰に責められようと問題ではない。

100%自分に非がなく死ぬことも、誰に責められることもなく死ぬことも、不可能なのだから。

 

逃げ続ける人生もいいのではないだろうか。

事実、このエピソードを暴露するまで、ぼくが逃げ続けてきたことに誰も関心なんてない!

 

そして、このエピソードを聞いて、ぼくのことを嫌いになる人がいても全く構わない。

それによって、ぼくの夢が叶うまでの時間は1秒たりとも遅らされないのだから。

 

逃げていい。走り去っていい。飛び出していい。誰からも見えなくなっていい。

それはここから遠ざかっていると同時に、どこかに近づいている証拠なのだから。

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