ロップ家は「非日常」でなく「微日常」があるだけ。

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ロップ家は「非日常」でなく「微日常」があるだけ。

こんにちは。中村ひろきです。

4月1日オープンの定額シェア別荘『ロップ家』ですが・・・。

先日こんなツイートをしました。

これに関して、もう少し詳しく語ってみようと思います。

 

非日常を求めるのは、日常がストレスにさらされているから。

たとえば地元を離れて旅へ出るとき、多くの人が非日常な環境を探し求めます。

プール付きのホテル。息を飲むような絶景。文化も言葉も違う人々との出会い。

家と会社を往復するだけの単調な生活との差によって、感動の度合いも大きくなります。

 

まるで「非日常な環境へのワープこそが最高の幸せ」と錯覚しがちですが、本当にそうなのでしょうか。

ぼくが思うに、非日常な環境を求める人ほど、日常的に抱えているストレスが大きいように感じます。

だからこそ刺激に満ちた環境を求める。まるで度数の少ないお酒では物足りなくなったアル中患者のよう。

 

ぼくは、ほんとうの幸せって、灯台下暗しで、もっとありふれた日常に含まれているものだと思うのです。

 

忙しい時はわからなかった、日常の中の幸せ。

4年ほど前、ぼくは人生最大の危機を迎えていました。

全財産1,900円。家賃2ヶ月滞納。1日17時間働いても月収18万円ほどの生活。

家でも仕事場でもないどこか遠くへ消えてしまいたいほど、毎日ツラかったのです。

とにかく刺激に満ちた非日常の環境へ逃げたかった。

 

でも、今は違います。

ようやく収入が安定して、移動にタクシーを使うことも、ラーメンにチャーシューを載せることも、財布の残金を確認する必要はほとんどなくなりました。

すると、不思議なことに、あれほど非日常な環境を求めていた自分はいなくなっていました。

 

ハンドドリップで淹れたコーヒーをゆっくりと飲める朝。

420円の銭湯で1日の疲れを取りながらリラックスする夕方。

大好きな仲間と大衆酒場で飲みながら語る週末の夜。

 

そんなしょーもないことで、この上ない幸せを感じられるようになりました。

なんてことない日常の足下に、幸せはいくつも転がっていました。

例えて言えば、ふりかけやカレーがなくても、白米そのものの美味しさが感じられるようになったような感覚。

 

まとめ

繰り返しになりますが、4月からスタートするロップ家に「非日常」なんてひとつもありません。

新しい出会いの連続があるわけでもなく、連夜たこ焼きパーティーが行われるわけでもない。

でも、昨日までいた地元と、なにかがちょっと違う。

そんな「微日常」を感じられる場所になったらいいなと思っています。

暗くて見えなかった足下の幸せに気づく、サーチライトのような存在になったらいいなと。

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